九浦の家とは
日本画家・野田九浦画伯の屋敷跡にできた、地域交流の拠点です。
緑いっぱいの庭と、和風の平屋。
日本画家、野田九浦画伯の屋敷跡にできたのが通称「九浦の家」です。緑いっぱいの庭と和風の平屋が印象的で、ほっと心が和みます。
野田さんが住んでいた頃の植栽を生かした、古き良き武蔵野を感じさせる庭が特徴です。公設民営のコミュニティセンターとして、武蔵野市民の誰もが自由に利用できる多目的施設であり、ボランティア組織「吉祥寺東コミュニティ協議会」により運営されています。

野田九浦氏について
野田九浦(のだきゅうほ)画伯は、本名を道三といい日本芸術会員(昭和22年より)、金沢美術大学名誉教授(昭和25年4月より29年3月まで同校勤務)、昭和33年からは日展の顧問を務めるなど活躍した。
画伯は、明治12年(1879年)12月21日東京の根岸に、野田鷹雄の三男として生まれ、父の函館税官長に伴い、明治16年北海道に渡り、明治28年当時画壇の逸材であった寺崎広業画伯に伴われて上京し、門下生となり、翌29年東京美術学校・日本画科選科に入学したが31年美校騒動で、寺崎広業画伯とともに退学、黒田清輝画伯率いる白馬会で洋画を学んだ。
明治40年(1907年)第1回の文展に「辻説法」(2等賞、文部省買い上げとなり、現在東京国立近代美術館に保管)を発表し、一躍花形となった。その年、大阪朝日新聞社に入社して、夏目漱石作の「坑夫」の挿絵を担当した。大正6年(1917年)退社し上京した。
大正12年(1923)吉祥寺東町に土地を購入し、翌年より死ぬまで当地に居住した。しかし昭和8年(1933)まで上根岸に、同年2月から19年3月まで、高井戸に画室があった。
画伯の作品は、歴史上の人物を主題にしている作品が得意で、堅実な仕事の底に、歴史に対する深い素養をそなえていた。代表作に「恵林寺の快川」(昭和17年発表、政府買い上げ)などがある。その後、昭和40年春叙勲で勲三等瑞宝章を授与された。
6年後の昭和46年、11月2日午前0時45分、老衰のため、91歳の天寿を全うした。
東京都武蔵野市吉祥寺東町1-12-6 ☎ 0422-21-4141
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